交易する人間(ホモ・コムニカンス) 贈与と交換の人間学
本書の主題は、具体的事例に則して言えば、贈与と交換の社会哲学である。より正確に言えば、本書は、贈与と交換を峻別する。そうすることで、近代に出現した市場経済、そして特殊近代的な資本主義経済の歴史的位置づけ、ひいてはそれらがかかえる歴史的限定性を明らかにできるからである。…… 要するに、本書は、人類が歴史的に経験してきた種々の相互行為を観察することを通して、社会存在としての人間の根源に迫る試みである。
本書の主題は、具体的事例に則して言えば、贈与と交換の社会哲学である。より正確に言えば、本書は、贈与と交換を峻別する。そうすることで、近代に出現した市場経済、そして特殊近代的な資本主義経済の歴史的位置づけ、ひいてはそれらがかかえる歴史的限定性を明らかにできるからである。近代以前の「非経済的または非交換的」な贈与体制との対比的研究のなかで、近代の経済自身の由来、それがかかえる諸問題が一層みえるようになる。
要するに、本書は、人類が歴史的に経験してきた種々の相互行為を観察することを通して、社会存在としての人間の根源に迫る試みである。
(中略)
……市場的交換ならびに資本主義的交換の社会が登場する決定的条件は、いっさいの贈与体制の崩壊である。言い換えれば、市場的交換と資本主義は、贈与体制を全面的に解体しないでは歴史の上に登場することができなかった。市場と資本主義は、その歴史的生成の流れに即していえば、贈与体制ならびに贈与心性とのたえざる闘いを通して出現するのであり、ある意味ではいまもなおそうである。そして贈与体制がほぼ完全に歴史的敗北をみるのは、たかだか十九世紀の中葉でしかない。しかし同時に、近代社会は、全面的に交換体制一色に染め上げられることで、制度をこえて相互行為の絆をなしてきた贈与的倫理を崩壊させるという重大な、そして致命的ともいえる代価を支払わなくてはならなかった。まさにそこから現代世界の困難な事情(相互行為の空虚化、貨幣換算的功利主義の蔓延、等々)が生まれるし、またそこに現代の思想的課題がつきつけられてくるだろう。(「プロローグ」より)